朝、あまりの晴天に、ふと思い立ち、南阿蘇村へ車を走らせる。
何時に着くかわからなかったが、「博多では、どんたくがありよぉし、みんな、阿蘇へは行かんやろ」という安易な憶測で( ̄▽ ̄)
とんでもない。
崩落した阿蘇大橋と、俵山トンネルのせいで、ミルクロードは、大渋滞。
大津熊本中核工業団地付近から57号線に抜けるのに2時間かかった。
原因は、大型輸送トラックのエンスト?(~_~;)
パトカーと白バイとお巡りさんが2人、片側通行の交通整理に当たっていた。(お疲れ様です!)そこを抜けたら割とスイスイ
でも、踏切を渡り、右折したら57号線を熊本市内方面から、というところで、神が微笑んだ ・・・・・←(寝ぼけていたのか、ここまで書いて保存してた自分(~_~;)あれ?何が書きたかったのか意味不明)
基。
踏切を渡り、国道57号を、ナビが左折と言った。かつくんは、右折と言う。このまま行ったら大分ばい!と。
よって、国道を左折して少し走り、149号線だったかな?県道に逸れた。そこからが、もう、テレビで見る映像とは別の世界が広がった。古い家屋も新しそうな二階建ての家も、もう住めないよと言ってるみたいにボロボロに壊れていた。
皆さんが片付けに追われている狭い生活道路を通るしかなく、申し訳なかった。
何度かの通行止め、迂回路、を通り、何処をどう来たのか、あの阿蘇大橋へ。ゾッとした。でもここまできたら、ホテルアソシエートの方へ行けるのかな?と思って左折したけどとんでもない。左折したらすぐ、パトカーが行く手を塞いでいた。仕方なく元の道に戻る。また壊れた家屋の木切れを踏んで通過する。どこまでもどったら良いのやら。ナビがあてにならない。南阿蘇村に入ったのに、ぐるぐる回っていることにイライラが募る。
やっともうすぐのんびり村だ!と、思っても、通行止めの看板が道を塞ぐ。山の様に積み上げられた土砂が道路を塞いでいる。歩きなら通れるのに・・・もう辿り着けないかも、と、思った。
でも、あの、お馴染みの長陽パークゴルフ場が目の前に現れた。やっと着いた!と思ったら、また、通行止め。
いよいよおっちゃんに電話。
車の流れに沿って脇道にそれ、集落の中を抜けてきて、と。思い切り鋭角に左折して、いかにも田舎の集落を抜けた。
あった!目の前にティッペルの真っ赤な鱗屋根が目に飛び込んだ。おっちゃんも店長も卑弥呼様まで心配して迎えに出てくれていた。
やっと辿り着いた〜〜!!
いや、その前に、
みなさん元気そうで良かった〜〜!!
被災しているおっちゃんに、コーヒーまで出してもらって、申し訳なかった( ̄▽ ̄)けど、こどもの日が近いのでスーパーで買って持って来た柏餅と、よくあいました(≧∇≦)
まだまだ元の生活に戻るには時間がかかる。
みなさん、身体には十分気をつけて。自分で思う以上に、身体は疲れています。仕事をしていないことを責めたりせず、ゆっくりライフラインの復旧を待ちましょう!!
帰りは、おっちゃんに教えてもらった、グリーンロードを通った。距離的にはかなり長いけど、空港を通って菊陽に抜ける。途中にアスペクタがあるドライブロード。晴れた日は最高。でもくねくねがひどく、車に酔う人は要注意ね。この道はそれほど被害はない様。阿蘇は広い。
山を越えても、通行止めはあって、西原村役場のまえを通ることになった。
役場の周辺は、自衛隊、日赤、ボランティアの人でごった返していた。まだまだボランティアの手が足りない。避難所にいる高齢者の方は自宅を片付けられないまま過ごしている。そんな気分にならないのもよくわかるし。長期に渡り、多岐にわたりボランティアが必要だ。
眠れぬ夜を過ごしているみなさん、今がずっと続くわけではないです。
負けんばい!熊本
負けんばい阿蘇次郎。
六月中旬には何とかしたいと考えています。
よっしゃよっしゃ(ー▽ー)
おっちゃん、希望がないと、避難所は大変。
避難勧告が出ていても家に残るというお年寄りもいる。