4月14日(木)21時26分、居酒屋で飲んでいた我々職場の同僚は、ひどい揺れを感じたと共に、まるで消防団の如く、支払をすませ、タクシーを呼んでもらい、職場へ駆けつけた。震度4を感じたエレベータが自動停止していただけで、他は、水漏れが一部。ライフラインに影響無しとのことで、深夜に解散となった。
が、翌日の1時25分、再び激震が熊本を襲う。自宅の4階は危険と判断。災害時のリュックを車に積み込み、着替えを持って一軒家の実家へ。かつくんを降ろし、職場へ。既に十名以上のスタッフが集まっていた。みんな凄い。私は揺れが収まるまで、アパートを出られなかったよ^^;
その後の怒涛のような時間。
ラジオしかない災害対策本部。「南阿蘇大橋が崩壊・・・」どこ?南阿蘇大橋って・・・情報が錯綜。あとで、あの阿蘇大橋だと判明。ラジオから、「南阿蘇、立野、河陽、東海大学、河陽・・・ペンション火の鳥・・・」と地名が聴こえてくるたびに、おっちゃんの安否が気遣われた。
南阿蘇村久木野在住の前上司も初回の地震の際は、LINEで「大丈夫」ときたが、本震の後は連絡が途絶えた。
後は、震源地となった益城町を始め、阿蘇大橋、東海大学付近のアパートの崩壊・崩落現場がテレビで映し出された。
あれから2週間が過ぎた。
あっという間に人間が造ったものを破壊してくれた。
生きているだけでよしとして、復興を待つしかない。
小学校の子供たちが気になる。被災しなかった土地に親戚がいて、そこに仮住まいできるなら良いけど、避難所から通える学校なんてないのでは?あちこちの避難所近くに、寺子屋を作るしかないのではないだろうか。
早く、避難生活が元の暮らしに戻りますように。
商売で食べていた人達が、元の収入に戻りますように。
震災にあって思う。「今」が永遠に続くことは絶対に無い。
臨場感がある文章は流石です。
しばらく、開いていなかったこちらのblog、、。
これから毎日訪れます❗
おっちゃん、前震とか言う言葉は初めて聞いたけど、怖かったね~~
みんなと一緒におったけん、即行動できた。